METライブビューイング初のバロック・オペラ、ヘンデルの《ロデリンダ》がいよいよベールを脱ぐ。かつては、一部の例外的な作品を除いて、古典派以降と相場が決まっていた一流歌劇場での上演作品。バロック時代にも大きく花開いていたオペラ文化の遺産は「退屈なもの」とみなされていた。しかし、作曲当時の楽器や語法を用いて演奏する古楽ムーヴメントの興隆によって、意識が大きく変化。バロック時代のオペラにも音楽的な襞(ひだ)があり、登場人物の細かな機微を表現し、現代人の心に訴えかける力を持つことが証明されたからだ。ここ四半世紀で、多くのバロック・オペラが復権を果たした。それどころか、新しい発想での演出など現代のステージ手法によって、おそらく作曲家や脚本家自身さえ想像し得なかったほど、さらなる芸術的な可能性が与えられたのだった。
有名な「ハレルヤ」を擁するオラトリオ《メサイア》で知られるヘンデル。実は、生前にはオペラ作曲家としても大変な“売れっ子”で、パスティーシュ(他作家の楽曲を寄せ集めて再構成した作品)を除いた純粋な作品だけでも、40作以上を数える。7世紀イタリアの小国を舞台に、夫婦の高潔な愛と赦しを描く《ロデリンダ》。次々に繰り出される素晴らしい名旋律の数々には、耳が釘付けにさせられる。事実、音楽史家のジョン・ホーキンズ(1719~89)は「1曲として、凡庸なアリアはない」と批評。このようにロンドン初演時から大好評だったが、特にタイトルロールの衣装が反響を呼び、同様のファッションが女性の間で大流行する社会現象に。2ヵ月足らずに14回も再演されたことからも、その熱狂ぶりがうかがえる。ちなみに1920年、ヘンデルのオペラとして、実に166年ぶりにドイツで蘇演されたのも、他ならぬ《ロデリンダ》であった。
2004年のMETでのプレミエでも大反響を巻き起こした、今回のプロダクション。前回と同じく、アメリカが誇るソプラノの女王ルネ・フレミングが、タイトルロールを演じる。圧倒的な美声は言うに及ばず、幕開け直後の「私は愛しい夫をなくしてしまった」での嘆きや、第2幕の「戻ってきて、私の愛しく優しい宝物」の希望への光など、アリアに託された心理描写をつぶさにすくい上げるのはさすが。幕間のインタビューで、作品への思い入れを熱く語る彼女の表情にも注目されたい。そして、世界最高のカウンターテナー(男声アルト)、アンドレアス・ショルが演じるベルタリードも、実に魅力的。いま欧州では骨太なカウンターテナーが次々に登場しているが、妻への愛と疑念の間で揺れ動く、繊細な心理を巧く表現し尽くせると言う点で、彼を凌ぐ歌い手は現れていない。
他にも、レチタティーヴォ(叙唱)の部分でのチェンバロも担当する、イギリス古楽界の実力派ハリー・ビケットのシャープな音楽創り、ヘンデルと同時代の18世紀へと大胆な翻案を施すことで、物語と音楽の距離をぐっと縮めて見せたスティーブン・ワズワースの上質な舞台づくりと、この佳品オペラの魅力を倍加させる仕掛けは盛りだくさん。「オペラは大好きだけれど、バロック・オペラはまだ観たことがない」という向きにこそ、ぜひご覧いただきたいステージ。まったく新たなオペラ体験との出逢いが、お約束できよう。
寺西肇(音楽ジャーナリスト)
写真(C) Ken Howard/Metropolitan Opera



