東条碩夫(音楽評論家)
キリストの体を突いた聖槍と、その体から流れる血を受けた聖杯(注)――この2つの秘宝をめぐって展開する物語《パルシファル》。
ドイツ・ロマン派の大作曲家ワーグナーが円熟の筆致で描いた最晩年の名作にふさわしく、その音楽は重厚壮大を極める。前作《ニーベルングの指環》が「劇的な激しさ」なら、こちら《パルシファル》は「深遠な美しさ」だ。第1幕中ほどでの場面転換から聖杯守護騎士団の合唱に続く音楽の豪壮雄大さ、第3幕での有名な「聖金曜日の音楽」の夢幻的な美しさ、続く場面転換の音楽の鬼気迫る不気味さ、全曲大詰めで救済と解放が訪れる瞬間から大波のように盛り上がりゆく音楽の荘厳な美しさなど、どれも一度聴いたら忘れられないほど素晴らしい。バイロイト音楽祭で先年この曲を指揮し好評を得たダニエレ・ガッティの、遅めのテンポによる叙情的な表現も聴きものであろう。
しかも今回は、歌手陣がいい。聖槍を奪還する主人公パルシファルを歌い演じるのは、当代最高のワーグナー歌手の1人ヨナス・カウフマン。彼の演じるパルシファルは、粗暴な野人でもなく、逞しい英雄でもない。純粋で優しい心を持つ、気品のある、悩める青年――といったイメージである。演出したフランソワ・ジラールも絶賛しているように、どこから見ても最高の当たり役と言っていいだろう。彼とともに素晴らしいのが、聖杯守護の老騎士グルネマンツ役のルネ・パーペ。この役としてはやや若々しい感もあるが、深みと人間味にあふれるリーダーを歌い演じて余すところがない。アンフォルタス王のペーター・マッテイも病の苦悩を劇的に表現して見事、謎の女クンドリ役のカタリーナ・ダライマンも魔性の女と騎士団に仕える敬虔な女との2面性を巧く演じ分けていた。
更なる見どころは、これがMETデビューとなった前述のジラール――映画『レッド・バイオリン』でクラシック・ファンにもおなじみの名監督――の演出だ。この作品のキリスト教世界に仏教的な要素(騎士団の演技など)を注入しているあたりは、ワーグナーが輪廻や涅槃などの思想をこの物語に取り入れていることに由ったものだろう。ドイツなどで流行しているような目まぐるしい読み替え手法は採られていないので、音楽に集中しながら観ることができる。舞台転換の場面をはじめ随所で背景に投影される映像も、この上なく美しい。
特に映画館では、ジラールの凝った手法――世界を明暗2つの世界に分ける「血の川」や、クンドリがパルシファルを誘惑する場面での「水」の色などが刻々と変化する模様などが、手に取るようにはっきりと見える。演出の意味深さが、METの客席で観ているよりもずっと明確に判るのだ。これも、「ライブビューイング」の強みである。
(注)最後の晩餐でキリストが使った杯をさすとも言われ、ワーグナーは両方の意味をこのドラマに持たせている。
写真(C) Ken Howard/Metropolitan Opera