池原麻里子(ジャーナリスト)
彼女はファム・ファタル(魔性の女)か、それとも男たちに人生を翻弄された犠牲者なのか?
今シーズン、私が最も注目し、心待ちにしていたのが《ルル》。90年代頭からずっと私を魅了し続けてきた現代アートの鬼才ウィリアム・ケントリッジの演出で、世界一のルル役として名声が高いマルリース・ペーターセンが「この役はこれが最後」と公言していたのだから。
プロセニアム一杯に繰り広げられるケントリッジの世界-それはまさにゲザムトクンストヴェルク(総合芸術)。 ルルの肖像画や歴史的人物、毛筆と墨で大胆に描かれていく描画などが次々にプロジェクションされていく。また、舞台にはマネキンのような女性がルルのドッペルゲンガーのように存在し、ルルの複雑な内面を表すかのような斬新な身体表現で舞台にスパイスを効かせている。もう一人、彼女のパートナーらしき人物が登場人物たちに小道具を手渡し、シュールな世界のストーリー展開を助けている。
《ルル》はオーストリアの作曲家アルバン・ベルクが台本・作曲を担当した未完の作品だ(彼の死後、1978年フリードリヒ・ツェルハにより3幕版が完成)。ベルクというと無調音楽、十二音技法というイメージから「苦手だ」という先入観を抱く方がいらっしゃるかも知れない。でも、是非METライブビューイング(METLV)を観ていただきたい。そうすれば、必ずケントリッジの名演出の魔法、そしてペーターセンの熱演に魅了されてしまうだろう。
ルルは周囲の人間の欲望の対象となるが、ファム・ファタルでありながら、貞淑な妻になることはできない。またルルが相手にする男性も、彼女が求めている人物像とは異なる。両者は互いの欲望を満たせず、関係は悲劇に終わる。彼女を愛する者は皆、死に追いやられ、彼女自身も最後は連続殺人者・切り裂きジャックに遭遇するのだ。
ルルは周囲の人間の欲望の対象となるが、ファム・ファタルでありながら、貞淑な妻になることはできない。またルルが相手にする男性も、彼女が求めている人物像とは異なる。両者は互いの欲望を満たせず、関係は悲劇に終わる。彼女を愛する者は皆、死に追いやられ、彼女自身も最後は連続殺人者・切り裂きジャックに遭遇するのだ。
演出では、ロールシャッハ・テスト(人格検査の方法。左右対称なインクのしみが何に見えるかという反応をもとに人格を検査する)のイメージも登場。そう、ルルは周囲が勝手に投影したイメージに翻弄された悲劇のヒロインなのかもしれない。
マルリース・ペーターセンは2005年に《こうもり》でMETに、そして《ハムレット》オフェリー役でMETLVにデビューし、昨シーズンではMETLV《フィガロの結婚》スザンナ役で出演したが、 幅広い役をこなすその才能には本当に感嘆する。そして今回、国際舞台への足掛かりとなりこの18年間、人生を共にしてきたルル役のラストパフォーマンスを絶頂期で披露してくれた。彼女はこのベルクの難しいスコアを比類のない歌唱力で歌い演じ、ルルになりきる。
ルル を愛するゲシュヴィッツ伯爵令嬢に初挑戦するのはMETが誇るメゾ、スーザン・グラハム。「ベルクは難しい!」と言いながら、なかなかダンディーな(?)レズビアン姿を披露している。伯爵令嬢としての尊厳と、ルルを切望し奴隷となる性(さが)をグラハムならではの歌唱力で描いているのだ。 シェーン博士/切り裂きジャック役のバスバリトン、ヨハン・ロイターも、表現力に富んだ迫力ある歌唱で圧倒的な存在感を放っていた。
写真 (C) Ken Howard/Metropolitan Opera