國土潤一(音楽評論家)
喉頭癌の治療のためにブリュッセルに出発した彼は、病による苦痛からこのように語った。「私のオペラは、未完のままで上演されることになるだろう。その際には、誰かが舞台の上で、観客に対してこう告げるだろう。-ここの所で作曲者は死にました、と。」果たして不幸なことに、この予言は現実のものとなった。
1926年4月25日、ミラノ・スカラ座の初演において、あの悲痛なリューの死の場面の後で、指揮に当ったトスカニーニは、音楽を止めてこう聴衆に語り掛けた。「ここの部分でジャコモ・プッチーニ氏は作曲を中断しました。死は、芸術よりも強かったのです。」と。完全な全曲として友人で作曲家でもあったアルファーノの補筆版が演奏されたのは、初演の次の公演であった。
求婚者に3つの謎を出し、答えられないと首をはねるという、北京の王女で絶世の美女トゥーランドット姫、国を追われた韃靼人の王子カラフ、その父ティムールを支える奴隷娘リューを主要な登場人物とするこの作品は、プッチーニの従来の路線を超越したオペラである。そのために、プッチーニはイタリア・オペラ史上最もドラマティックな声をトゥーランドット姫に求めた。そして、その氷のような心を愛によって覚醒させる情熱的な声をカラフに与えた。更にこれらの「超人的主役」に対する、より人間味溢れる人物として、ゴッツィの原作にはなかったリューを登場させた。
トリノ・オリンピックで荒川静香が使用して広く知られる〈誰も寝てはならぬ〉の、全曲の中で聴く味わいは格別だが、もうひとつのカラフのアリア〈泣くなリュー〉、リューのアリア〈お聞きくださいご主人様〉と〈氷のような姫君の心も〉、トゥーランドット姫の〈この宮殿の中で〉と、プッチーニの魅力たっぷりの名アリアだけでなく、スリリングな「謎解きの場面」の掛け合いなど、味わい深い魅力に満ちている。
巨匠ゼフィレッリの絢爛豪華で演劇性にも万全な至上の演出、当代随一のドラマティック・ソプラノ、N.ステンメの圧倒的な声量と無尽蔵とも思えるエネルギーに満ちたトゥーランドット姫、トゥーランドット姫の対極にある人間味溢れる役柄そのものの可憐な容姿と歌で聴衆の涙を誘うハーティッグのリューをはじめ、ベルティのカラフ、ツィムバリュクのティムールといった実力派の歌手を揃え、名匠カリニャーリの鮮烈な指揮のもと、METでしか味わえない豪華で華麗な舞台と、ライブビューイングならではのカメラ・ワークは、《トゥーランドット》の醍醐味を満喫させてくれるはずだ。
写真(C) Marty Sohl/Metropolitan Opera