広瀬大介(音楽評論家)
この十数年来、「無人島に何を持っていきますか」という問いへの答えは、《ばらの騎士》の楽譜、と決めている。19世紀から20世紀にかけ、激動の時代を85年に渡って生き抜いたリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の最高傑作。それまでのオペラの歴史が培ってきた、あらゆる手法の集大成であり、20年以上この楽譜に付き合ってなお、新たな発見には事欠かない、汲めども尽きぬ泉のような音楽である。
台本作家、フーゴー・フォン・ホフマンスタール(1874-1929)が舞台に設定したのは、華やかなりし18世紀のハプスブルク帝国。この作品の中でひときわ豊かな光彩を放っている元帥夫人マリー・テレーズは、夫・陸軍元帥の居ぬ間に、17歳の貴族の愛人、オクタヴィアンと情事に耽る。が、若い男と違い、女はそれが最初の恋でも、最後の恋でもないことを知っている。いたずらに時を重ね、自分は若さを失い、老いて行く。「何ごとにも、それを為す『時』というものがある」「ときどき自分は家中の時計を止めたくなる」と歌う元帥夫人。世の中に永遠不変のものなどない、という諦観と、その事実に心を引き裂かれて苦悶する気高い姿が、深いメッセージ性をもって、われわれの心に訴えかける。長く伝えられる名作には、ひとの精神的な成熟を促す力があるのだろう。
田舎からやってきたオックス男爵の婚礼を仲立ちするため、オクタヴィアンは婚約の証としての「銀のばら」を届ける使者(この習慣自体は史実ではなく創作)として、ファニナル家の娘、ゾフィーのもとを訪れる。オックスの傍若無人な振る舞いにゾフィーは愛想を尽かし、オクタヴィアンは一芝居打ってオックスとゾフィーの婚約を破談へと持ち込む。そして、元帥夫人は若い二人の新しい門出を、自らが身を引くことで祝福する。重要な場面にちりばめられた恋人のひたむきな二重唱、オックスの小粋なワルツ、そして若い二人と元帥夫人がそれぞれの想いを吐露する三重唱、いずれをとっても、聴くものの胸を打たずにはおかない。