2015年3月17日火曜日

みごとな心理オペラ2本立て!《イオランタ》/《青ひげ公の城》みどころ

                                  東条碩夫(音楽評論家)    

イオランタ
オペラ《イオランタ》のもともとのストーリーは、優しい父王や侍女たちに見守られ、城から一歩も出ずに暮らす盲目の美少女イオランタが、彼女に思いを寄せる青年の来訪をきっかけとして気持を変え、進んで手術を受けて視力を取り戻し、幸福の第一歩を踏み出す、というものである。

 しかし、今回のマリウシュ・トレリンスキの演出はこれを読み替え、溺愛する娘を自分の手許から離したくないという父親の激しいエゴが彼女を抑圧し、それがすべての問題の原因となっている、というストーリーに解釈してみせた。かくてメルヘン的な物語は一転し、父と娘の心理劇に姿を変えて立ち現れたのである。

一方、《青ひげ公の城》は、新妻ユディットが、夫・青ひげ公への愛ゆえに、そのすべてを知りたいと熱望するあまり、彼の心の奥底にまで踏み込み、見てはならぬ彼の過去の秘密(七つの扉の中)にまで立ち入ってしまうことの悲劇を描いた心理ドラマだ。

青ひげ公の城
 男の惨忍性(拷問部屋)、闘争性(武器庫)、財宝欲(宝物庫)、優しさ(花園)、征服欲(広大な領土)・・・・それらすべては、犠牲(血)によって贖われたもの。

 このように、男の心の暗部を次々に見てしまった彼女は、ついに孤独の悲嘆(淀む涙の部屋)と、青ひげの過去の女たちの幻影がこもる恐怖の部屋の扉を開けてしまう。その先にあるものは、ただ悲劇のみ。

 これは、夫と妻――男と女の、永遠の葛藤のドラマにほかならない。

 トレリンスキは、演出にあたり、ヒッチコック監督の『レベッカ』(注)をイメージにしたと語っているが、実際の舞台には、その映画に関連するような光景は現われない。ただし、「七つの扉」のようなものも登場せず、舞台は別の「ある手法」により展開していくことになる。

イオランタ
 こうして、《イオランタ》と《青ひげ公の城》という二つのオペラは、もともとの「メルヘン・オペラと悲劇のオペラ」という対比から姿を変え、「男と女」の永遠の悲劇ともいうべき共通の性格をもったオペラとして、結びついた。いや、それでも、前者はハッピーエンドの物語であり、後者は絶望の淵に沈んでいく悲劇という違いはあるだろう。いずれにせよ、そういう二面性を持ったプログラムとしての面白さが、この2本立て上演なのである。

 もちろん、音楽は、ただの1小節もオリジナルから変えられていない。チャイコフスキー晩年の色彩感と叙情性にあふれた音楽は美しく、また、バルトークの陰翳豊かで身の毛のよだつような不気味な音楽もすばらしい。これらを指揮する巨匠ワレリー・ゲルギエフの練達の腕の冴えが、まず第一の聴きどころだ。

イオランタ
 そして歌手陣。これはもう、完璧である。 《イオランタ》では、アンナ・ネトレプコの巧さと、表情の良さ。そして何より、彼女を愛するヴォデモン伯爵を歌い演じるピョートル・ベチャワの、品のいい純粋な青年貴族としての水も滴るイケメン青年ぶりが、見事というほかはない。 またイリヤ・バーニクが、一般に演じられるような「優しい父王」ではなく、エゴ丸出しの横柄な父親としての国王を好演しているのも面白い。

青ひげ公の城
かたや《青ひげ公の城》では、青ひげを歌い演じるミハイル・ペトレンコがまず見ものだ。《イーゴリ公》のガリツキー公爵など、もともと悪役を得意とする彼は(本人はいたっていい人である)、今回はいつもと違うメイクで、ますます得体のしれぬ怪人、といった主人公を演じている。相手役のユディットを歌い演じるナディア・ミカエルも、思いつめたように激しく夫に迫り、自ら破滅に追い込まれていく新妻を、実に見事に表現している。

 音楽良し、歌良し、指揮良し、オーケストラ良し。そして演出も良し。自信をもってお奨めしたい2作である。

(注)『レベッカ』1948年アメリカ映画。アルフレッド・ヒッチコック監督、ローレンス・オリヴィエ、ジョーン・フォンテイン主演。英国紳士マキシムの後妻となったヒロインが、謎の死を遂げた先妻レベッカの影に支配される邸内で焦りを強めていく物語。アカデミー作品賞を受賞したサスペンス映画の名作。

写真(C) Marty Sohl/Metropolitan Opera