小沼純一(音楽・文芸批評家)
注目の第一は、ディアナ・ダムラウとヴィットーリオ・グリゴーロのゴールデンコンビによる「愛の二重唱」がふんだんに盛りこまれていることだ。澄んでいながら安定感のあるダムラウ、ふぁっと開いた花を想わせるグリゴーロ。おなじ「愛の二重唱」でも、第1と第2、第4と第5の幕でそれぞれの内容も曲調も当然違い、それらを正確に歌いわける声、そして演戯は、この《ロメオとジュリエット》の舞台でこそ。
第3幕には「愛の二重唱」がないけれど、そのぶん、ドラマが盛りだくさん。前半にはダムラウとグリゴーロに、乳母ジェルトリュード(ディアナ・モンターグ)、神父ローラン(ミハイル・ペトレンコ)を交え、三重唱から四重唱へと声がかさなってゆくクライマックスが用意されている。そして後半には、モンタギュー家とキャピュレット家のいさかいが露呈して、見せ場として決闘が。この決闘の、短いけれども、剣が打ち合わされる金属的な音と、歌手たちのみごとな殺陣はなかなか。そう、それから、ステファーノというロメオの従者を演じるヴィルジニー・ヴェレーズがいいのだ。いわゆる男性役を女性が演じるズボン役で、メゾソプラノが担当するのだが、とても溌剌かつコミカルで、その後につづく大きなストーリーのながれを導きだす。それはまた、全5幕あるオペラ、第3幕の半ばまで上昇していた機運がここを境に悲劇へと転じるところでもあるのだ。とても図式的な見方だが、そんなふうに把握しておくと、より安心して音楽のながれにのって視聴できるだろう。
若い二人の恋人の悲劇は、スケールの大きい石造りの壮麗な舞台装置のなか、豪華絢爛な衣裳をつけて、光と影のコントラストをつけた照明によって、浮き彫りにされる。この新演出、トニー賞受賞、渡辺謙主演の『王様と私』も記憶に新しいバートレット・シャーの手による。
さて、このオペラのなかでもっともよく知られている曲はといえば、第1幕、アリア〈わたしは夢に生きたい〉か。ワルツがベースになった舞踏会シーンのなか、ジュリエットがこのアリアを歌い、一気に主役がクローズアップされるという仕組み。アリアやシャンソンなどのソロはもちろん、「愛の二重唱」以外にもさまざまな組みあわせによる「二重唱」があって、音楽的にも視覚的にも楽しませてくれるし、ジャナンドレア・ノセダ指揮のMETオケは、グノーの対位法的に組みあわされる複数の旋律線をときに甘美に、ときに流麗に、そしてときに重厚にコントラストをつけ、ひびかせる。
恋は楽しくもあり、また、苦しく、悲劇にもつながってゆく。こうしたことがパッション(情熱=受苦)と呼ばれるゆえんであり、それが《ロメオとジュリエット》なのである。
©Ken Howard/Metropolitan Opera