2014年10月16日木曜日

ネトレプコから目が離せない!《マクベス》現地レポート

                                 池原麻里子(ジャーナリスト)

 新シーズンで特に楽しみにしていたのが、アンナ・ネトレプコがMETで初めて披露するマクベス夫人。そして、私の期待はまったく裏切られなかった!この《マクベス》は、《マクベス夫人》とタイトルを変えるべきだと思うくらい、ネトレプコから目が離せない。《戦争と平和》でMETデビューして以来、いろいろな役に挑戦してきたけれど、43歳になって声の深みが増した彼女にとって、今まさにピッタリの役だと断言できる。権力に執着する野心家として夫を扇動するそのセクシーな姿。マクベスでなくたって、男性なら誰でも、「彼女のためなら殺人だって厭わない」なんて惑わされてしまうかも知れない。そして、この役を、悪女になりきって見事にこなしている。

 ネトレプコは自ら選んだという金髪姿(これがなかなかお似合い!)で、ベッド上から登場。夫からの「魔女と逢い予言を受け、その通りにまずはコーダーの領主になった。」という手紙を読むシーンから始まる。その「コーダー」と読むときの、嬉しそうな表情は野心むき出し。そして、アリア〈さあ地獄の司たちよ,立ち上がれ〉を歌う。輝く高音も、スモーキーな低音もとても素晴らしい。この瞬間からこの《マクベス》は、彼女のもの。観客の心を掴んで、離さない。これは彼女のような類まれな才能の持ち主だけが持つ、スターの資質だ。最後の〈夢遊病の場〉のうつろな表情も名演技だ。劇場では彼女のマクベス夫人に魅了された観客が、アリアのたびに拍手大喝采した。

 マクベス役を務めるのは、ヴェルディ・バリトンとして定評があるジェリコ・ルチッチ。印象的なレガートで、後悔の念などを歌い上げている。前回の公演では抑え気味だったように見えたルチッチも、ネトレプコの熱演に刺激され、マクベスの心の葛藤を見事に演じている。

 そして、バンクォー、マクダフも豪華なキャストだ。まずバンクォー役はルネ・パーぺ。深みのあるバスで、ノーブルな姿を披露してくれる。マクダフはジョセフ・カレーヤ。子息を暗殺から守れなかったことを嘆く有名なアリア<ああ父の手は>を、あのヴィブラートがきいた独特の声で、悲しみいっぱいに歌った。

 さて、ヴェルディはシェイクスピアを原作とするオペラ《マクベス》《オテロ》《ファルスタッフ》を作曲しており、いずれも名作となっている。その第一作目《マクベス》は、イタリアで戯曲の翻訳が出たばかりで、まだ上演されていないときに真っ先にとりあげた。19世紀オペラに恋愛ものが多い中で、人間の欲望や運命に翻弄される姿を見事にドラマチックにオペラ化しているのはヴェルディならでは。ヴェルディは歌手に対して、「マクベス夫人は、醜女であり、邪悪で、悪魔のような声で」と注文しているが、当時のオペラは美人が美しく歌うのが定番だったことを考えると、極めて異質である。

 主役歌手陣に加えて、重要なコーラスも<虐げられた祖国よ>をはじめ、息がピッタリ。魔女達は浮浪者のような様相だが、歌唱場面でハンドバッグを開くと、ライトが顔を照らし、その不気味さが強調される。このような考えつくされた素晴らしい演出を担当したのは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの元芸術監督エイドリアン・ノーブル。11世紀の物語を、第二次大戦後のスコットランドに舞台を移したこの演出は2007年が初演だったが、当時の斬新さをまったく失っていない。比較的シンプルなセットだが、変化自在で、場面転換が多いこのオペラをスムーズに展開していく。ビデオを駆使した舞台効果もとてもマジカルだ。

 MET主席指揮者ファビオ・ルイージも素晴らしい。正確で繊細な指揮で、名だたるスター歌手、それも非イタリア人が勢ぞろいしているキャストを、しっかりサポートして、イタリア・オペラにまとめあげている。《マクベス》はライブビューイングのシーズン・スタートに相応しい注目すべき作品だ。
                                     (c)Marty Sohl/Metropolitan Opera