東条碩夫(音楽評論)
官能の女性ヴェーヌスと、純愛の女性エリーザベト━━この2人の女性に惹かれ、彼女たちの間を揺れ動く詩人騎士のタンホイザー。深層心理的に言えば、これは1人の女性の両側面を象徴する性格ともいえるだろう。そしてタンホイザーは、「清らかな愛をもつ女性」に救われて死んでゆくのだ。これは、ワーグナーの作品にしばしば見られる、「女性による救済」の、ひとつの典型例なのである。
ソニア・ヨンチェーヴァは一流のキャリアを歩むのは間違いないであろう・・・彼女の官能的な歌声には、素朴な色合いと質感があり歌声のきらめきを見事に調和させている。この作品のハイライトで、壮大に演出された第3幕終わりの合唱の場面では、彼女は特に際立っていた。大勢のキプロスの人々とヴェネツィア大使を前にして、オテロはデズデーモナを罵り、髪を引っ張って地面に平伏させる。打ちひしがれたデズデーモナは、苦渋に満ち訴えかけるようなフレーズで、耐え難い屈辱を表現する。コーラスを突き破り響き渡るヨンチェーヴァの高らかな歌声は、この可憐な愛情深い妻に果敢に抵抗する力があることを示唆しているかのようだ。〈柳の歌〉や〈アヴェ・マリア〉をこれ以上美しく歌えるソプラノが、いま彼女以外にいるだろうか?— ニューヨーク・タイムズ