2016年4月26日火曜日

世界中が涙する誇り高い日本のヒロイン《蝶々夫人》みどころ

小田島久恵(音楽ライター)

19世紀末、明治時代の長崎を舞台に、15歳の少女「蝶々さん」と、米国海軍士官ピンカートンとの悲恋を描いた《蝶々夫人》は、生涯エキゾティックなテーマを愛したプッチーニが1904年に完成した全2幕のオペラである。旅行先の英国でこの物語の演劇を見たプッチーニは、すぐさま愛らしく誇り高い日本のヒロインに夢中になり、オペラ化のためにさまざまな日本のメロディを研究しはじめたという。そのためオーケストラには日本人にとって耳に親しい童謡や古謡の旋律がふんだんに登場し、物語のところどころにユーモラスな味わいを添えている。

15歳の少女(2幕以降は18)の役ながら、ドラマティックな声質のパートゆえ、蝶々さん役のソプラノには音域の広さやスタミナなど多くのものが求められる。今回METに登場するのは、プッチーニ作品を得意とし、前作《マノン・レスコー》で魔性の美少女マノンを演じたクリスティーヌ・オポライス。相手役のピンカートンは、《マノン・レスコー》でも共演したテノール歌手ロベルト・アラーニャ。惚れっぽい熱血漢の色男が得意なアラーニャにぴったりの役どころだ。軽薄な役だとしてピンカートンを敬遠するテノール歌手もいるが、アラーニャは積極的にこの役の魅力を突き詰め、キャラクターを掘り下げていく。美しい異国人の蝶々さんに魅了され、溢れるばかりの期待感を歌い上げる一幕から、情熱的なアラーニャその人を感じさせるようなピンカートンで、一幕ラストの愛の二重唱も素晴らしい。オポライスとアラーニャは、《マノン・レスコー》に続けて共演したことも、恋する男女のシリアスな感情の高まりが強調された演劇性の強いカップルを創り上げるのに、プラスに作用しているのだろう。

 ハイライトは、2幕で蝶々さんが歌うあまりに有名なアリア「ある晴れた日に」。アメリカに帰ったまま日本を訪れないピンカートンに永遠の想いを寄せる蝶々さんの恋心が切々と伝わってくる。お手伝いのスズキ(メゾ)との「花の二重唱」もフランス歌曲のような色彩感で、女性二人の一心同体になったような喜びが伝わってくる名曲だ。2幕2場で、眠っている蝶々さんの悲劇を悼むスズキ、ピンカートン、シャープレスによる三重唱もレクイエムのような宗教的な静謐さに溢れていて、聴衆を深い感動に誘う。

MET版の演出を手掛けたのは、映画監督としても著名なアンソニー・ミンゲラ(1954-2008)ミンゲラの妻のキャロリン・チョイは香港出身で、アジア女性を心から理解していたことも《蝶々夫人》の演出家として相応しかったのかもしれない。ピンカートンの忘れ形見である蝶々さんの息子を、子役ではなく文楽の人形で表現したことで大きなセンセーションを巻き起こしたが、人形を操る黒子の哀切に満ちた表情まで伝わってくるこの映像を見れば、ミンゲラがこの演出に託した大きな愛情が理解できるはずだ。彼のオペラ演出の次回作を楽しみにしていたが、本作が2008年急逝したミンゲラの遺作となった。外国人の目から見た日本文化の美しさと、極東の国の珍しさも描き切った極彩色の豪華プロダクションを、是非スクリーンで楽しんでいただきたい。



写真(C)Marty Sohl/Metropolitan Opera