堀内修(音楽評論家)
月の輝く夜に、木々に囲まれた湖の畔で、水の精を目撃したことがないだろうか?アンデルセンはきっと見た。ドヴォルザークも。そして悲しい恋の顛末を聞いたに違いない。ボヘミアの現在のドヴォルザーク博物館になっている館は、「ヴィラ・ルサルカ」と呼ばれている。裏手に広がる沼沢は、ドヴォルザークが《ルサルカ》作曲のインスピレーションを得たところという。
大作ではないけれど、《ルサルカ》はとても美しく、悲しいメルヘン・オペラで、ドヴォルザークの代表作、そしてチェコ・オペラ屈指の作品として人気がある。ただし、幻想的な物語の世界に入れる演出は、実をいうと容易ではない。メトロポリタン・オペラが本気で制作してこそ、私たちは白銀の月に歌う水の精ルサルカの姿を見、声を聴きとることができるというもの。
オペラ界の女王アンナ・ネトレプコの座を脅かすほどの勢いのクリスティーヌ・オポライスは、ミュンヘンで《ルサルカ》を歌い、大成功を収めている。得意な役でMETの舞台を征圧できるか?聴けば、見れば、わかるはず。第1幕や第3幕の歌が聴きものだが、人間になるため口がきけなくなった、つまり歌えなくなった第2幕でも、オポライスの演技力がものを言うだろう。
上演を支えるのはやはりドヴォルザークの大いにナイーブでもある音楽の魅力なのだが、こういう音楽はマーク・エルダーとメトロポリタン・オペラのオーケストラが得意とするところに違いない。聴く者をおとぎ話の世界に引き入れてしまう。ドヴォルザークはきっと水の精を見たことがあると、聴けば信じたくなる。
ルサルカの愛を裏切ってしまうのだから、確かに王子はいけない。でも改心し、ルサルカに抱かれて死んでゆく幕切れは、実に切ない。なんといってもオポライスのルサルカが、中心なのだが、王子を歌ったブランドン・ジョヴァノヴィッチだって見事だったのだ。
水の精は実在する。METの舞台に。
(C)Ken Howard/ Metropolitan Opera
(C)Ken Howard/ Metropolitan Opera