2013年2月1日金曜日

あまりにも有名な悲劇の女王、メアリー・スチュアート


その波乱万丈で悲劇的な生涯が、数多くの文学作品や映画などで描かれてきた悲劇のスコットランド女王、メアリー・スチュアート。『クィン・メアリー 愛と悲しみの生涯』や『エリザベス:ゴールデンエイジ』などの映画でも、彼女の物語を知った方も多いかもしれません。

ドニゼッティの傑作オペラ《マリア・ストゥアルダ》(英語:メアリー・スチュアート)をさらに楽しんでいただくために、悲劇の女王メアリー・スチュアートと、彼女の終生のライバル、エリザベス1世の歴史的背景を簡単にご紹介いたします。

スコットランド女王 メアリー・スチュアート
現在のイギリスは、16世紀には、南部の新教(現在のプロテスタント)を信仰するイングランドと、北部の旧教(カトリック)を信仰するスコットランドという二つの王国が、宗教や領土をめぐって対立していました。そんななか、スコットランドで、ジェームス5世と旧教国フランスから迎えられた王妃マリー・ド・ギースの間に生まれたのが、メアリー・スチュアートです。生後6日で父親が逝去し、スコットランド女王となったメアリーは、その後、幼くして未来のフランス王妃となるために、フランスに渡り何不自由ない幸せな青春時代を過ごしていました。


ドニゼッティ《アンナ・ボレーナ》より
A・ネトレプコ演じるアン・ブーリンと少女のエリザベス


一方、イングランドでは、メアリーの大叔父にあたる専制君主ヘンリー8世が、すきあらばスコットランドの侵攻を企んでいました。このヘンリー8世は、オペラ《アンナ・ボレーナ》(英語:アン・ブーリン)にも登場したとおり、世継ぎの王子が生まれないことを理由に王妃と無理やり離婚し、旧教と決別してまで、愛人のアン・ブーリンと再婚。その二人の間に生まれたのが、エリザベスです。(《アンナ・ボレーナ》でも赤毛の少女が登場していましたね。)しかし世継ぎを産めなかったアン・ブーリンも、濡れ衣を着せられヘンリー8世に処刑されてしまいます。そのため、エリザベスは庶子として不遇な少女時代を過ごすことになります。

イングランド女王 エリザベス1世
メアリーはフランス王妃となりますが、王がすぐに死去し、19歳で混乱の祖国・スコットランドに帰国することになります。一方、イングランドでは、ヘンリー8世の逝去後、姉弟たちが死亡するなか、エリザベスが王位継承者として即位。しかし、彼女がヘンリー8世の庶子であったことを指摘し、チューダー家の正統な血筋にあたるメアリー・スチュアートこそが正統な王位継承者だという派閥が出てきます。エリザベス1世が議会に嫡子と認められても、王位継承を主張するメアリーに対し、エリザベスは大きな敵対心を抱くようになります。

スコットランドに帰国後、メアリーは再婚するも不幸せな結婚となり、夫の殺害疑惑や別の男性との不倫疑惑・再婚など様々なスキャンダルのあと、祖国を追われる身となります。メアリーはイングランドのエリザベス1世に助けを求め、エリザベスもメアリーを受け入れますが、宗教対立など多くの火種をはらむメアリーを軟禁状態におきます。自分の権力と自由を取り戻そうとするメアリーは、エリザベス1世の暗殺事件計画の陰謀にも巻き込まれ、謀反の罪で、死刑宣告を受けます。

ドニゼッティ《マリア・ストゥアルダ》より
メアリー・スチュアート演じるJ・ディドナート(右)
エリザベス1世演じるE・ヒーヴァー(左)

オペラで描かれるのは軟禁中のメアリーと、エリザベスの因縁の対立です。さらに同じ男性への愛の確執が加味され、女王のプライドと愛をかけた対決は激しい火花を散らします。史実のなかでも情熱的に愛に生きたメアリー・スチュアートと「処女王」として愛に生きることを許されなかったエリザベスとの対比的な二人の生き方が興味深く見えてきます。
エリザベス1世とメアリー・スチュアートの直接対決シーンは架空の設定ですが、こういった歴史的背景を思い浮かべながら、二人の宿命の女王の対決を観ると、さらに深く感動できることでしょう。ぜひ、ドラマチックなこの女王オペラをスクリーンでご堪能ください。

写真(C) Ken Howard/Metropolitan Opera