東条碩夫(音楽評論家)
彼特有の、緻密で緊迫感にあふれた演出が素晴らしい。舞台は、シェローとしばしばコンビを組んで来た美術家ペドゥッツィが得意とする、灰色の壁に囲まれた閉塞の空間。そこで描かれる衝撃のドラマは、愛する父王を暗殺した母とその愛人への憎悪に燃え、王宮内で犬のような生活を続けながら復讐の時を待つ王女エレクトラの物語である。
シェローの近年の演出の特徴の一つは、主人公のほか、常に何人かの人物(黙役を含む)を舞台に登場させ、「他人の目」から逃れられぬ自己を描き出すという手法だった。エレクトラの苦悩や焦燥は、いつも「だれか」に見られている。その一方、オレストが姉エレクトラに身分を明かす場面で、彼らに秘かに好意を持ち続けていた王宮の使用人たちもその場に姿を現わすという設定は、エレクトラ姉弟が決して孤独ではなかったという状況を描くものであり、面白いので注目したい(ト書きではもともとそれに近いものになっているのだが)。
エサ=ペッカ・サロネンの指揮も、すっきりした音づくりで、内声部を明晰かつ清澄に浮き彫りにする。R・シュトラウスの濃密壮大な管弦楽法に彩られた音楽を、透明な叙情性を加味して演奏するというのがいかにもサロネンらしい。今回は終結近くでテンポを速め、劇的効果を出しているのが注目される。最大規模の編成で臨んだMETのオーケストラの威力も充分だ。
題名役のニーナ・ステンメは、現代屈指のドラマティック・ソプラノだが、ここではまさに本領発揮である。全編出ずっぱりで、しかもほとんど歌い続けで、復讐に燃える王女役を凄絶に演じる。歌も見事だが、顔の演技も鬼気迫る表情だ(こうなると来シーズンの《トリスタンとイゾルデ》がいよいよ楽しみになる)。
母親役クリテムネストラは、ヴァルトラウト・マイヤー。ドイツの大ベテラン歌手で、その歌唱の深みと演技の巧さは古今第一級である。娘に向ける複雑な視線、焦りと不安に満ちたモノローグ、娘エレクトラとの応酬の場面など、どれも圧巻だ。━━それにしても、この母娘の愛憎の表現がアップで見られるのは、ライブビューイングならではの強みだろう。ちょっと怖いが、オペラの醍醐味ではある。
その間にあって、純真に温かい家庭を願う妹クリソテミスを歌うのは、これも人気抜群のエイドリアン・ピエチョンカ。清純な美しさがいい。弟オレスト役のエリック・オーウェンズも、いつに変わらぬ重厚な存在感。
クライマックス・シーンにおける今回の演出では、オリジナルのト書きと異なり、クリテムネストラは舞台上で息子オレストに殺され、彼女の愛人である王エギストも舞台上でオレストの付け人に刺される。エレクトラの愛する父王アガメムノンを暗殺した2人は、こうして非業の最期を遂げるのだった。ごうごうたる音楽が、この悲劇を締め括る。
物語、音楽、歌唱、演出、演技、━━すべての面で、これは物凄いオペラである。
写真(C)Marty Sohl/Metropolitan Opera