堀内 修(音楽評論家)
これでロバート・カーセン演出の上演が、現代の《ファルスタッフ》のスタンダードになりそうだ。
一連の上演で、アンブロージョ・マエストリはファルスタッフの第一人者となったし、カーセンの演出だって、磨きがかかってゆくはずだ。ヴェルディの年のしめくくりとなるニューヨークの上演に向って、太った騎士のオペラは着実に歩みを進めてきた。
なるほど《ファルスタッフ》は、古き良き世界の喜劇で、カーセンにとっての古き良き世界は、1950年代のアメリカであるのが、この場面だけでもわかる。大きなレストランのテーブルに陣取ったアリーチェやメグたちのおしゃべりの、なんとリアルなことだろう。誰だって、そうそう、こんな風によくしゃべるご婦人が隣のテーブルにいて、閉口したことがあるなあ、と納得するだろう。納得して、感心する。やれやれ、と思っていたけれど、あれこそが平和で、夢のような世界の入口だったのだと気づく。
ちょっとうるさい(?)とんでもない、女たちのおしゃべりとにぎやかな笑い声に円熟の極みに達したヴェルディの、最高の技があるのを、オペラ好きならよく知っている。誇張した手紙の朗読は、大悲劇のパロディーみたいだし、女たちの笑い声がこの上ないオペラの歌唱になっているのなど、まるで魔法のよう。
このあたりで、きっとレヴァインの名人芸が存分に発揮されることだろう。大きなキッチンでくり広げられる大騒動や、終幕のちょっと豪華なパーティーも、《ファルスタッフ》が田舎で起る愉快な出来事から、洗練された都会派オペラへの変身に、一役買うはずだ。変身というより、それがヴェルディの傑作の、本当の姿ってものではないだろうか。
オペラ史上最も洗練されたオペラの、最も都会的上演が、ニューヨークで実現する。
写真 (C) Ken Howard/Metropolitan Opera