2017年5月7日日曜日

父と子の宿命のドラマを溢れる音楽で導く《イドメネオ》みどころ

加藤浩子(音楽評論家)

父と子の葛藤と自立。これが《イドメネオ》のテーマである。もちろん恋愛もあるけれど、オペラの核心は「父と息子」だ。
「僕は頭も手も第3幕でいっぱいで、僕自身が第3幕になってしまいそうです」。
《イドメネオ》の作曲が大詰めを迎えていた頃、24歳のモーツァルトは、作曲に没頭していたミュンヘンから、生まれ故郷のザルツブルクにいる父レオポルトにこう書き送った。

モーツァルト本人も、また父との葛藤のただなかにいた。周知のように父レオポルトは、我が子の才能をいち早く発見し、英才教育を施した人物である。モーツァルトもまた、父の期待に応えようと努力してきた。だが歳とともに内向きになり、大司教コロレードが支配するザルツブルクの宮廷音楽家の地位にしがみつくことを強制する父は、モーツァルトにとって重苦しい存在になっていた。《イドメネオ》をミュンヘンの宮廷で初演した後、25歳のモーツアルトはウィーンに直行し、そのまま独立してしまう。オペラの最後で、イドメネオの息子イダマンテもまた、父から自立する。《イドメネオ》は、モーツァルトの人生が投影されたオペラとなった。

METで《イドメネオ》が初演されたのは1982年のこと。名匠ジャン・ピエール=ポネルが演出したその時のプロダクションは、それから35年たった今でもMETで愛され続けている。ギリシャ神話を扱った作品にふさわしい美しくも荘重な舞台だけれど、衣装が初演の頃のそれに設定されているのは興味深い。当時は、遠い時代の物語でも同時代の衣装で上演されるのが普通だった。ポネルの名舞台は、その習慣を思い出させてくれる。

METのレジェンド、J・レヴァインは、《イドメネオ》に格別の愛着があるようだ。MET初演の時も、指揮を執ったのはレヴァインだった。35年を経た今でも、レヴァインの棒が導き出す音楽は、モーツァルトの若書きの傑作にふさわしく若々しく爽やかだ。《イドメネオ》でのモーツァルトは、《フィガロの結婚》のような後年のオペラよりキャラクターを素直に描いていて(たとえば純なイリアと激しいエレットラは音楽で明確に描き分けられる)わかりやすいのだが、レヴァインはモーツァルトならではのピュアな美しさを保ちながら、その点をきっちりと際立たせている。その一方で音色はよりクリアになり、音楽には暖かみと丁寧さが増し、泉から湧き出る水のように自然に溢れ出す。何より、モーツアルトの音楽への愛と共感が感じられるのが快い。

MET初演の時、レヴァインとタッグを組んでイドメネオ役を歌ったのは、こちらもレジェンドのL・パヴァロッティだった。今回この大役を歌ったM・ポレンザーニは、第一声から存在感を発揮。今やMETの看板テノールとなったことを印象づけた。イリア役のN・シエラの真珠のようにピュアな声、イダマンテ役のA・クートの表現力も魅力的だったが、エレットラを演じたEVD・ヒーヴァーの烈女ぶりには度肝を抜かれた。ドラマティック・ソプラノの大器であることは間違いない。《イドメネオ》のもうひとりの主役である合唱も充実していた。

モーツアルトの音楽の天才的な点は、昨日生まれたかのような新鮮さにあると思う。そこに気づかせてくれる演奏こそ「名演」と呼ぶ価値がある。METの《イドメネオ》は、まさにそう形容したくなる上演だった。映画館での再見が待ち遠しい。

 (C)Marty Sohl / Metropolitan Opera