加藤浩子(音楽評論家)
異界からきた存在と人間が恋に落ち、一時は幸福になるが、人間の裏切りによって悲しい結末を迎える。。。「異類婚姻譚」とよばれるそんなお伽話は、世界中に存在する。《ルサルカ》も、スラヴ民族の間で語り継がれてきた「異類婚姻譚」から生まれたオペラだ。ヒロインのルサルカは水の精。人間の王子に恋してしまったルサルカは、魔法使いに頼んで人間に変わる薬を手に入れるが、代償に声を失う。湖のほとりでルサルカを見つけた王子は彼女の美しさに打たれて連れ帰るが、やがて口をきけないルサルカに飽き、外国の公女の誘惑に屈してしまう・・・。どこかで聞いたような話。そう思う方もあるかもしれない。「水の精」は人間界にもっとも近い存在とされ、「異類婚姻譚」の最大の提供源となってきた。アンデルセン童話の『人魚姫』もそのひとつだ。はかなくひたむきな「水の精」の恋は多くの作曲家の創作意欲に火をつけ、チャイコフスキーからドビュッシーまで、あまたの作曲家が「水の精」オペラを手がけてきた。
ドヴォルザークもそうだった。オペラへの情熱はあったもののなかなか成功できないでいたドヴォルザークは、晩年になって《ルサルカ》という題材にめぐりあい、魅了された。同国人クヴァピルが書いた台本も、彼を虜にした。豊かな自然環境のなかで育ったドヴォルザークにとって、《ルサルカ》の台本に書き込まれた自然の情景は、慣れ親しんだ懐かしいものだった。これこそ、待ち望んでいた題材だ。そう感じた彼は、《ルサルカ》を「感謝と喜びに満ちて」作曲した。《ルサルカ》が、10作を数えるドヴォルザークのオペラの最高傑作と位置づけられる作品となったのもうなずける。
実際、《ルサルカ》の音楽は、どこをとってもため息が出るほど美しい。とくに、自然描写と結びついた部分の幻想的な響きは絶品だ。たとえば全曲中で一番有名な、ルサルカが王子への恋心を歌う有名なアリア〈月に寄せる歌〉。ゆらめく水をあらわすように寄せては返すオーケストラに包まれて、恋するルサルカの声がうっとりと漂う数分間は、この世のものとは思われない不思議な美しさに満ちている。対して、人間界を描写する第2幕はヴィヴィッドでスリリング。華やかな舞踏会から、外国の公女が王子を誘惑する二重唱まで、変化に富んだ音楽が耳を奪う。ラストを飾る心中の二重唱は、《トリスタンとイゾルデ》もかくやの官能的な音楽だ。
今回のMETのプロダクションの第一の魅力は、理想的なキャスティング。この役を歌わせたら世界最高のMETのプリマ、R・フレミングの「銀色の声」は、映像を見る限り絶好調。時にしたたるような、時に泡立つような「声」を駆使して、はかなく美しく、寂しげでいながら一抹の強さをたたえたヒロインを絶唱している。P・ベチャワの、凛としながらも人間的な弱さをにじませた王子も適役だし、大ヴェテランD・ザジックの魔法使いも貫禄だ。音楽に呼吸と生命を吹き込むY・ネセ=セガンの指揮も心地いい。お伽話の世界そのもののO・シェンクの演出も、オペラという夢を見るのにぴったり。
写真 (C) Ken Howard/Metropolitan Opera