原作のゲーテ著『若きウェルテルの悩み』を読んだことがある人は、そのロマンチックな悲劇に心を痛めたことがあるのではないだろうか。出版当時、ヨーロッパ中で爆発的な人気になったゲーテの実体験に基づくこの小説。青年達はウェルテルのようにブルーの燕尾服と黄色いベスト、ブーツを身に付け、涙を入れた小瓶を持ち歩き、何と自殺する者まで出たという。
さて今回のMET新演出は、前作《カルメン》で大好評だったイギリスの名監督リチャード・エアによるものだ。多くの演劇も手がけているエアの手腕は、明確にストーリーを展開させていくことにある。例えば序曲ではシャルロットの母親が急死し、埋葬されるシーンが描かれて、物語の背景を作っている。このイントロによって、シャルロットがなぜ、ウェルテルに惹かれながらも、母との約束通り、婚約者アルベールとの結婚を決意するかが納得できるのだ。セットは基本的には同じものが利用されてるのだが、ビデオ映像を駆使することで季節の移り変わり、場所の移動が大変にスムースに行われるように工夫されている。この手法は細切れなシーン変化にも、途切れることなく対応するのに最適だ。ラストの自殺シーンも衝撃的な工夫がしてある。
ウェルテル役は現在、「ウェルテルを歌わせたらこの人しかいない、彼こそがウェルテルだ」と思わせる大スター、ヨナス・カウフマン。自らもウェルテルを歌った、あのオペラ界の超人プラシド・ドミンゴに「私が聴いたことがある歌手の中でもベストの1人」と絶賛しているくらいだ。その陰影ある風貌、ちょっといぶしがかかったテノールは悲劇の主役、ウェルテルそのもの。カウフマンはMETデビュー当時から注目してきたが、どんな演出でも彼らしく消化して、演じ、歌いこなす類稀な才能を持った歌手だと思う。彼の手にかかると、現代ならストーカーとも言えなくもないあきらめの悪いウェルテル像が、決して女々しくなく、とてもロマンチックに描かれ、「女性ならこんなに男性に慕われてみたい」と思わせてしまうのだ。それに最期の自殺シーンだって、時には「まだ死なないのか」と呆れるのだが、カウフマンの手にかかると、「あー、死なないで!」と思ってしまう。
そのカウフマンの相手役を務めるのはフランスのスター、ソフィー・コッシュ。彼女は今回がMETデビューとなったが、シャルロットはもう10年ほど歌っているベテランで、今、この役を歌わせたら世界一だと思う。細身ながら、無理なくとてもよく声が通る。それに何と言っても、カウフマンとコッシュはパリでも2010年に本作品でコンビを組んでいて、大変に息の合ったところを見せてくれる。甘美なマスネの音楽を2人は、抑えながら、しかし内面に秘めたパッションを見事に表現している。聴き逃せないのが、リサイタルでもよく歌われるウェルテルの〈オシアンの歌〉で「春風よ、なぜ僕を目醒めさせたのか」ととても切なく美しいアリアだ。そして、死と別れの最期の二重唱〈この最後の時〉は涙なくして聴けない。
この二人を支えるのがシャルロットの妹役ソフィーを歌うリゼット・オロペーサ。鈴のようなコロラチューラでお茶目で天心爛漫なソフィーを演じている。シャルロットの夫アルベール役は今回METデビューのデイヴィッド・ビズィッチ。深みのある美声と堂々とした風格で、気品と誠意があり、自分と同じくシャルロットを愛するウェルテルの気持ちに理解を示すアルベール像を描いている。
これまで何度も観たことがある《ウェルテル》だが、今回のキャストと演出は最高だった。
(c)Brigitte Lacombe/Metropolitan Opera
(c)Ken Howard/Metropolitan Opera
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