《ラ・ボエーム》の魅力:ボヘミアンたちの生き方
《ラ・ボエーム》は、19世紀パリの下町に住む若者たちの夢と恋と友情を描いたプッチーニの最高傑作です。1896年、トリノでの初演以来、世界的な人気演目となり、今でも多くの人に愛されています。今回は、本作の大きな魅力にもなっている、貧しいながらも陽気に生きる「ボヘミアン(=放浪芸術家)」たちの人間性や、生命力と活気が満ち溢れる場所「カルチェ・ラタン」についてご紹介します。
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1986年初演当時のポスター |
《ラ・ボエーム》のタイトルでもある「ボエーム」とは、かつてフランスに流入した定住地を持たないボヘミア人を語源とする言葉で、フランス語で「自由奔放に生きるその日暮らしの人」のことを指しました。そしてその言葉が次第に変化していき、本作の舞台となる1830年代頃のパリでは、定職を持たない作家や芸術家を指す言葉ともなっていきました。革命や戦争といった激動の時代を経て、貴族や教会からの資金的な援助を失ったパリの芸術家たちは、伝統的な暮らしや慣習にこだわらず、自由奔放に生きることを信条としていました。ボヘミアンたちは、そのころ台頭してきた都市の中産階級のブルジョワたちをパトロンにしつつも、ブルジョワ階級の慣習やしきたり(特に金銭で愛人を作る性風俗など)を軽蔑し、自分たちの生き方が道徳的に優れていると信じ、ブルジョワの世間主流から独立した言動や服装をしていました。《ラ・ボエーム》に登場する詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、音楽家ショナール、哲学者コルリーネたちも、そんなボヘミアンたちでした。
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ジャコモ・プッチーニ |
そんなボヘミアンたちの生き方に最も理解と共感を示した人物が、《ラ・ボエーム》の作曲家プッチーニです。《ラ・ボエーム》の原作となったのが、アンリ・ミュルジュの自叙的小説『ボヘミアンたちの生活情景』。その原作小説を読んでいたく感動したプッチーニは、後にこんな言葉を残しています。「ここには私が捜し求め、愛したすべてがあった。すがすがしさ、青春、情熱、陽気さ、黙って流される涙、喜びも苦しみもある恋。そこには人間性があり、感情があり、心がある。そして、特にそこにはポエジーが、神々しいポエジーがある。私はミラノの音楽院で勉強していたときに、実際にこんな生活をしていたのです」。《ラ・ボエーム》が庶民の暮らしを写実的に描くことで、人々の共感を呼んでいるのは、プッチーニ自身の若き日の青春が、そこに投影されているからかもしれません。
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カルチェ・ラタンの小道 |
そしてもう一つ、《ラ・ボエーム》に欠かせないドラマティックな場面が、「カルチェ・ラタン」にあるカフェ・モニュスでの大賑わい。カルチェ・ラタンとはパリにある学生街のこと。現在でもパリの大学や学校が多く集まり、たくさんの学生たちが闊歩する活気あふれるエリアです。ちなみに、ジブリ映画『コクリコ坂から』では、学生たちが部室棟として使っている「カルチェ・ラタン」と呼ばれる建物の取り壊しを巡って、学生たちが奮闘します。カルチェ・ラタンは、今も昔も若者たちの憩いの場であり、哲学を学ぶ場であり、恋が生まれる場の象徴です。
《ラ・ボエーム》のカルチェ・ラタンでも、多くのボヘミアンたちが集まり、人生の喜びと青春を謳歌する歌声が満ち溢れます。第2幕では、昔の恋人である画家マルチェッロの気を引きたいムゼッタが、事の成り行きを面白そうに見守るボヘミアンたちを前にして、〈ムゼッタのワルツ〉を歌い上げます。視覚的にも華やかで観客を虜にするこの場面は、数百人のキャストが登場する2段舞台を用いたMETならではの豪華な演出も見どころの一つとなっています。
ボヘミアンたちの青春群像劇《ラ・ボエーム》。貧しい生活ながらも自由を謳歌し、一瞬で激しい恋に落ち、人生の喜びと青春の悲恋が交錯する物語です。観た人誰もが、ボヘミアンたちの生き方に、自分たちの青春の輝きを想起する不朽の名作をお楽しみください。