2014年5月15日木曜日

《コジ・ファン・トゥッテ》現地インタビュー③ ダニエル・ドゥ・ニース

“ニューヨークのような都会には、とっても若くて、何でも知っているガールズが沢山いるでしょう?デスピーナは、まさにそんなガールズのひとり。とてもパワフルな役です。”

ダニエル・ドゥ・ニース
METの今シーズン《コジ・ファン・トゥッテ》2回目の公演を歌ったばかりのダニエル・ドゥ・ニースとのインタビューは、彼女のボーカルコーチの一人が住むアパートのロビーで行われた。本当は、METのラウンジで行う予定だったのだが、彼女がMETに向かう途中で交通渋滞に巻き込まれてしまい、約束の時間に来ることが不可能になってしまった。そこで苦肉の策として、コーチとのセッションが始まる前に、コーチのアパートのロビーで会うことを彼女の方から提案してくれたのであった。急遽そのアパートまで向かうと、彼女は既に、玄関口の前に立って待っていてくれた。[プレ・ワー(Pre War)]と呼ばれる戦争前に建てられた重厚な建物が建ち並ぶアッパーウェスト・サイドの、天井の高い瀟洒なアパートである。192030年代の雰囲気を残す建物と、すらりと美しい姿勢の彼女のコントラストが、秋の陽を受けていい感じだ。

「こんなところまで来て頂いて、本当にごめんなさい。」

−——いえ、とんでもないです。これからコーチング・セッションだというのに、感謝しています。お時間もないと思いますので、早速お話を伺っていいですか?

「もちろん!」

−——それではまず、今回の《コジ・ファン・トゥッテ》に出演された感想をお聞かせ下さい。今回の公演は、健康上の理由から指揮活動から遠ざかっていた、マエストロ・レヴァインの一大カムバックとなりました。

「信じられないくらいに素晴らしいことでした。ジミー(・レヴァイン)とは、18歳の時にMETのヤングアーティスト・プログラムに加わって以来、何度もご一緒してきましたから。1998年に19歳の私を《フィガロの結婚》新演出公演のバルバリーナ役でMETデビューさせてくれたのも、ジミーです。METの舞台だけでなく、カーネギー・ホールのコンサートなどでもご一緒しました。2年間ほどMETからジミーが遠ざかると聞いた時は、本当に悲しく思いました。METで育った私には、彼の不在がMETにとってどれほど大きなことであるか、よく分かっていたからです。

ですから、ジミーがカムバックの《コジ》に私を選んで下さったと聞いた時は、とても嬉しく思いました。ジミーは指揮台から遠ざかっていたかもしれませんが、METからは遠ざかっていなかったのです。ご自宅ではMETのラジオ放送を全て聴かれたとのことですし、治療を続けながらも、様々な形でMETに関わられていました。療養中でありながらも、カムバックのことを考えていらしたということに、とても感動しました。今回再びジミーと同じ舞台に立ち、私に笑いかける彼の姿を目の当たりにしながら、私が彼から吸収したこと、彼との長い月日が思い出され、本当に心動かされました。私の場合、とても若い時からの関係なので、特にスペシャルな思いだったと言えるかもしれません。」

−——《コジ》のデスピーナ役のことはどう思われますか?

デスピーナ役を演じるドゥ・ニース
「訳知りの女中(メイド)ということで、デスピーナはかなり年齢が高いと考える方がいますが、私は違うと思います。姉妹より年上だとしても、せいぜい23歳の差でしょう。ガールズの時間では、それはとっても大きな差です!彼女は本当に全てを経験しているわけではないかもしれないけれど、世の中をよく知っていると思います。
私のデスピーナは、姉妹の貞操を試すために、恋人を取り替えて口説くと言う男達の企みを図らずも手伝わされていたことに、猛烈に腹を立てます。だけど最後には、アルフォンソからお金を受け取ります。彼女は姉妹のようにお金持ちではないし、自分のことを自分で面倒見なくちゃならない。彼女にとってお金は、究極的には役に立つものなのです。デスピーナは多分、恋に破れてすごく傷ついた経験があって、男性を見る目も覚めていると思います。男性の価値を、ポケットの深さ、持っているお金で測るようなところがあります。
ニューヨークのような都会には、とっても若くて、何でも知っているガールズが沢山いるでしょう?『ハニー、わかるわ。私も経験したもの。』デスピーナは、まさにそんなガールズの一人だと感じます。とてもパワフルな役です。」

−——ドゥ・ニースさんは、15歳でロサンゼルス・オペラにデビューされたとのことで、ある意味とても特殊なキャリアですよね。

今作共演のS・フィリップス、I・レナード、D・ドゥ・ニース
(2013-14シーズン METオープニングナイトにて)
「とても特殊だと思います。でも、私は7歳の時からピアノや歌、対位法など、ありとあらゆる勉強を続けてきました。アジア人の子供(彼女の両親は、スリランカからオーストラリアに移住した)は、本当に小さい頃から音楽を始めるでしょう?私もそんな、アジア人の子供の一人だったのです。8歳の時にクラシックの声楽レッスンを初めて受けたのですが、これこそ私がやりたいことだと直感的に思いました。10歳になった頃には、オーストラリアのありとあらゆるコンクールで、私の倍以上の年齢の参加者を差し置いて優勝してしまい、もう大学レベルの教育を受けるしかないと言われました。でも、10歳の子供がそんな教育を受けられる場所がオーストラリアにはなく、結局両親は、私の教育のためにロサンゼルスに移住してくれたのです。ロサンゼルスでは奨学金を得て、歌や踊り、理論からピアノなど、あらゆる分野で研鑽を続けました。本当に幸運だったと思います。
私は確かに若いときにデビューしたかもしれませんが、そこに辿り着くまで、とても注意深く、一歩ずつ歩んできました。レコーディング・アーティストとしての私も含めて、これからも、ゆっくり歩んでいきたいと思います。ところで、あなたは日本人?」

−——はい、そうです。

「私は17歳の時、高崎のコンペティションに出場しましたし、日本では小澤征爾さんとも共演させていただきました。お寿司屋さんに行くとかだけではなくて、本当に普通のご家庭に寄せて頂いたりして、日本にはとても親しみを感じています。2008年には、モーツァルトのアルバムを世界に先駆けて日本で発表させて頂きました。假屋崎省吾さんのヴェルサイユ宮殿のようなお宅で、パーティーもして頂きました。假屋崎さんの才能は、本当に信じられないくらい素晴らしい。また日本に行くことができる日を、とても楽しみにしています。」

インタビュー:小林伸太郎(音楽ライター/ NY在住)
(C) Lisa Kohler
(C) Marty Sohl/Metropolitan Opera
(C) Ken Howard/Metropolitan Opera