加藤浩子(音楽評論家)
《ラ・チェネレントラ》(1817年初演)は、オペラ版「シンデレラ」だ。家族に虐げられている気だてのいい娘が、舞踏会で王子様に見初められ、妨害を乗り越えて結ばれる。原作はシャルル・ペローの童話だが、ロッシーニ作曲のこのオペラ、ガラスの靴やかぼちゃの馬車や魔法使いが登場しないなど、ペローの童話とはちょっと違う。ガラスの靴の代わりは、チェネレントラ(=伊語でシンデレラの意味)が舞踏会で王子様に渡した腕輪だ。
ガラスの靴が登場しない「シンデレラ」なんて。そう思った方、ちょっと待って。実はそれこそ《ラ・チェネレントラ》が「大人のメルヘン」たるゆえん。当時の劇場は大人の社交場だったし、このオペラが初演されたローマの聴衆は、魔法使いのような子供だましの設定を好まなかった。ガラスの靴がなくなったのは、女性が人前で足を見せるなどはしたないという観念があったから(先月上映された《ラ・ボエーム》では、ムゼッタが歌いながら足を見せ、男たちが夢中になるシーンがあった)。
ガラスの靴が登場しない「シンデレラ」なんて。そう思った方、ちょっと待って。実はそれこそ《ラ・チェネレントラ》が「大人のメルヘン」たるゆえん。当時の劇場は大人の社交場だったし、このオペラが初演されたローマの聴衆は、魔法使いのような子供だましの設定を好まなかった。ガラスの靴がなくなったのは、女性が人前で足を見せるなどはしたないという観念があったから(先月上映された《ラ・ボエーム》では、ムゼッタが歌いながら足を見せ、男たちが夢中になるシーンがあった)。
設定を変えて、いったい何が残ったか?答えはずばり「愛」である。オペラ《ラ・チェネレントラ》では、王子ドン・ラミーロは従者のダンディーニと入れ替わり、娘達が地位に惹かれているのか人柄に惹かれているのか見極めようとする。「変装」は伝統的な喜劇オペラに欠かせない仕掛けだが、《ラ・チェネレントラ》では物語の本質と結びついているのだ。
さらにその設定が音楽にぴたりとはまっているところが、《ラ・チェネレントラ》の奇跡である。従者ダンディーニが、彼を王子と信じ込んだチェネレントラの継父ドン・マニフィコに真実を明かす滑稽洒脱な二重唱〈重大な秘密です〉。腕輪を手がかりに恋人を探し当てた王子と一同が繰り広げる、シュールな六重唱〈もつれた糸の結び目〉。恋に落ちた王子とチェネレントラが歌う、真実味あふれる二重唱〈何と愛らしい〉。どれも適材適所の名曲揃いだ。
しかし最大のハイライトは、主役2人の大アリア。恋人を探し出すと決心した王子の〈あの娘を探し出す〉、幸福の絶頂にあるチェネレトラが幕切れで歌う〈悲しみと涙のうちに生まれ〉。2曲とも、よほどの名手でなければ歌えない至難のアリアだ。
今回のMETの《ラ・チェネレントラ》の一番の贅沢は、「100年に一人」のロッシーニ・テノール、J・D・フローレスに、チェネレントラ役で一世を風靡したJ・ディドナートと、主役2人に世界最高の歌手を揃えたこと。黄金の声と完璧な技巧に演技力も加わったフローレス、しっとりと深みのある声を駆使して技術と心情を結びつけるディドナート、2人が客席を熱狂させる様子を体験できるのはライブビューイングの醍醐味だ。とくに本公演を最後にチェネレントラ役を引退するディドナートへの喝采は凄まじい。
粒よりの脇役陣、F・ルイージの自在で軽快な指揮(このオペラを初めて振るなんて信じられない!)もさすがMET。シックで洗練され、「食」の魅惑に満ちたC・リエーヴィの演出(ロッシーニはグルメで有名だった)もとってもおしゃれ。幸せな夢を見せてくれる《ラ・チェネレントラ》で、シーズンの最後を心ゆくまで堪能しよう。
粒よりの脇役陣、F・ルイージの自在で軽快な指揮(このオペラを初めて振るなんて信じられない!)もさすがMET。シックで洗練され、「食」の魅惑に満ちたC・リエーヴィの演出(ロッシーニはグルメで有名だった)もとってもおしゃれ。幸せな夢を見せてくれる《ラ・チェネレントラ》で、シーズンの最後を心ゆくまで堪能しよう。
(c)Ken Howard/Metropolitan Opera